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   <Hawaii's Plantation Village>

   ワイパフの町は、ハワイ・オアフ島の中心に程近い所にあります。
   ここに製糖産業が盛んだった20世紀初頭の移民達の様子を伝える博物館
   「Hawaii’s Plantation Village」があります。
   ここには移民に関する資料を展示した建物の他に、各国の移民の家を忠実に再現した
   建物群があります。各家屋には食器や家具等の生活用品が展示され、銭湯や理髪店、
   病院などもあり、当時の生活を感じる事が出来ます。   
   「Leonard’s」の「マラサダ」を食べた事から、ポルトガルの移民に興味を持った私達は
   この博物館を訪ねてみる事にしました。
   
   19世紀中頃まで捕鯨船の中継基地として栄えたハワイ王国でしたが、経済は砂糖産業
   へと移行して行きました。アメリカで砂糖の需要がぐんぐん上がってくると、多くの労働力が
   必要となり、世界各国から製糖産業に従事する移民を集めました。日本、韓国、中国、
   フィリピン、プエルトリコなどの移民達の他に、ポルトガルからの移民も大勢いました。    
   ポルトガル移民のほとんどはアソーレスから来た人たちでした。その訳は、アソーレスの
   捕鯨漁民の優秀さと勤勉さがハワイでも知られていたからだそうです。
   ポルトガル移民は最初の中国人に続き、1868年に初めてハワイに入植しました。
   移民の給料は入植した国の順に高かったそうで、2番目に入植したポルトガル人の給料は
   良かったそうです。しばらくするとプランテーションの外へ出て色々な職業につく人も出始め
   ましたが、消防士と警官は体格のせいもありますがポルトガル人の独占職だったそうです。
   
   ヴィレッジ内に再現されたポルトガル移民の家は、平屋の母屋と台所に分かれており、
   家の中は居間に寝室が二つほど。敬虔なクリスチャンらしく、部屋にはキリスト像がありました。
   またガロちゃんも棚に載っていたり、ポルトガルを想いながら暮らしていたのでしょうか。
   それにポルトガルと言えば、パン!故郷の味は忘れられないのか、ポルトガル人の家には
   立派なポルトガル式のパン焼きかまども有りました(日本人の家には豆腐の道具)。
   施設の人が、試しにこの石釜でパンを焼いてみたらおいしいパンが出来たそうです。
   
   
   Hawaii's PLANTATION VILLAGE → HP 
  
 
   

ハワイプランテーションビレッジ入り口 ポルトガル移民 移民の1日。朝から夜遅くまでの労働。
ポ移民の家。右が母屋、左が台所。 母屋の居間。ああっ!?棚の上にいるのは?   ハワイでガロちゃんに感動の再会!
母屋の寝室。居心地良さそうに見えるけど... 日系のガイドさんが日本語で案内してくれました。 パン焼きかまど。ポの田舎で見たことある!


ヴィレッジ内の床屋。クラシックで素敵! 病院。クラシックなだけに怖かった... 日本人経営の豆腐屋さん

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